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不調と手をつなぐ ~記念日(命日)反応について~

不調と手をつなぐ ~記念日(命日)反応について~

こんにちは。グリーフ専門士、寿月です。
そろそろ次のブログを書こうと思い立ってから、取り掛かれないままに何週間も過ぎてしまいました。なんとか書き始めた今でも、終わらせられるかわからずにいます。
今月は夫の命日がやってきます。夫が生きていた時は夏大好きな私でしたが、今年は暑くなってきた頃からでしょうか、心身共に調子がでない日が多いです。
今日は記念日(命日)反応について書いていこうと思います。

どこまでいけるかわかりませんが、書き進めて参りましょう。

記念日(命日)反応とは

大切な人や身近な人が亡くなった後、故人を想起させるような特別な日を前後して、病的な原因があるわけではないのに身体や心に不調が生じてくることがあります。
命日や年末年始、クリスマス、結婚記念日や誕生日、父の日母の日など……。
疲れやすくなったり、注意力が散漫になったり、時には自分ではコントロールしがたい感情の波に襲われることがあるかもしれません。故人の痛んでいた部位が痛くなったり、アレルギーの反応が強くなるなど身体になにかしらの症状がでる場合もあるようです。
大きな出来事を経験した者、誰にでも起きうる自然な反応の一つで、死別からある程度時間が経っていても起こり得ます。
特に記念日ということでなくても、たとえば桜や紅葉など季節を象徴するものは思い出と直結しやすく、その時期になるとどうしてか気分が落ち込んでしまうなんてことも。
そしてもうすぐお盆を迎えるという地域も多いかと思いますが、亡くなった人とのつながりを意識するこの時期もまた、記念日反応が起きやすいと言えるかもしれません。

夫の命日を前にして今、まさしく私はこの反応の渦に飲み込まれているところです。これはあくまで私の状態ですが、どのくらいの時期から、どんなことが起きてくるのか、記念日反応というものをご理解いただくためにも少し書いてみようと思います。

今年は梅雨明けが早かった。私が暮らす地域では6月のうちから夏本番のような暑さがやってきました。それと連動したように、夫の闘病後期から亡くなった頃までのことが、一日の内に何度も思い浮かんでくるようになりました。苦しんでいる顔、痩せてしまった身体、幻覚に襲われている様子などが本当にふいに、何をしている時でもかまわず意識上にポコッと浮かんでくるのです。
これは死別間もない頃にもよくあって、その度に心臓がどくんと跳ねるような感覚になったのを覚えています。その場で動けなくなりますし、立っていられなくなって蹲ることもよくありました。まるで今それが起きているように感じて、夫が苦しんでる、つらそうだということに溺れてしまう。

時が経つにつれそれがやってきた時の対処法も模索しながら掴んで、そうしているうちに回数が減り、そこに捕らわれることもなくなってきていたのだけれど、ここにきてあの頃に逆戻りしてしまったように思えました。

そして、なんだかわからない落ち込みがやってきた。気力がでない。思うように動けない。身体に心がついてこないのか心に身体がついてこないのか、そのどちらもあるように感じています。ずっと低空飛行しているような、もちろん笑ったり話したりできるのだけれど、いつも薄暗さの中にいるような状態と言いますか、晴れない感じ。

注意力や集中が途切れやすくなっているのも自覚しています。お恥ずかしい話ですが、洗濯物のポケットに紙類を入れたまま洗濯してしまったのがこの数週間で2回もありましたし、トイレの後流し忘れるなんてことも。
聞いているつもりなのに聞けていないことや、何かの拍子に頭が真っ白になって慌てたり。その癖いろんなことに感じやすくなっていて、いつもならなんでもない言葉に涙がでたり、心が波立つ。常に心の許容量が満杯目前みたいな感覚なので、自分でもびっくりするくらい余裕がないです。隙間時間に横になることも増えました。自然にやれていたはずのことにいちいちエネルギーを使うので、本当に疲れます。

こうして書いていても言葉にして説明するのがとても難しい状態だとあらためて思います。ということは、周囲の人に理解していただきづらい状態とも言えるかもしれません。

重なるようにして、先延ばしにしていた死後手続きの最後の一つの期限が近づいており、いよいよ着手しなければならなかったことも大きかったと思います。夫がこの社会からとうとう消えてしまうように感じていたたまれない。
やらなければならないこともどんどんやってきて、それには自分が望んでやっていることも含まれているのに、何をするにも一歩目の踏み出しに時間がかかります。まごまごしている間に周囲や状況はどんどん動いていて焦りも感じます。でも追いかける気力がない。布団に横になって、もう全部辞めちゃおうかなと極端に走りそうになることも少なくないです。

常に行きつ戻りつですが、体感的には昨年の一周忌の頃よりも今年のほうがしんどく感じています。あの頃はまだ気を張った状態だったと思えば、今このように感じられているのはいろんな意味で前に進んでいるからとも言えなくはない。でも歯がゆいです。

突然顔が腫れて痛んだり、指がこわばって動きづらくなったり、急なめまいに混乱したりもありました。先日は起きたら目が開かないほど瞼が腫れていて、慌てて冷やしたり。
まるですっぽ抜けてしまったハンドルを握りしめて必死に運転しようとしているみたいな、身体も心もコントロールが効かない感が満ち満ちているところです。

対処法を考える

こうしてあらためて書いてみると、死別間もない頃に表れていた状態に似ているようにも思いますが、自分の中ではあきらかな違いを感じています。それもまた言葉で説明するのは難しいのだけれど、この反応に私の全てを支配されているように思わないということ。
反応が起きているのは私の一部分のような気がしています。低空飛行ながら飛んでいて、薄暗いとはいえ真っ暗ではない。あくまで私の感覚ですけれど。

そう居られるのは、知識として『記念日反応というものがある』と知っているからかもしれません。まさにジタバタしている私が言っても説得力がないかもしれませんが、「この時期はいろいろ出てくるだろう」と覚悟していたので、起きてくるものに戸惑うことはありませんでした。ある部分では冷静に受け止めることができているつもりです。
やがてそう遠くなく反応が鎮まってくるとわかっていることも大きいですね。嵐が過ぎ去るのを待つような気持ちで、粛々と過ごすように心掛けているところです。
わかちあいの会や専門士を目指すコースの中でも、この記念日反応を知れて良かったという声を多く耳にします。過去に逆戻りしたような不調に見舞われると、混乱して、そんな自分自身を受け止められずに余計に苦しまれる場合もあるからでしょう。
思うように動けないのはあなたのせいではない。もし自分を責めてしまったり全否定したくなっても、これは記念日反応のせいなんだと思ってやりすごしていただけるといいなあと感じています。

この反応の中にいる時は、大きな決断を避けるというのも大事なことかもしれません。私も苦しさの中で、何もかも手放そうとするような極端な結論を出してそっちに動きかけることがあります。でも結論を急がないで。
今はやることを欲張らず、削れるものは削っていきながらベストではなくベター以下で、なんとか現状維持を目指せればくらいの気持ちでいられるといいですよね。

わかちあいの会などでお勧めしているのは、前もってこの時期の過ごし方を決めておくことです。特に記念日や、命日当日をどう過ごすかですね。
なんとなくその日を迎えてさまざまな波に翻弄されるよりも、先にやることを決めておくことでコントロール感を少しでも取り戻す。1日中映画を観ようとか、亡くなった人の好物を買ってきて食べようとか、誰かと過ごす約束を取りつけておくのもいいかもしれません。その日はあえて故人のことを考えないようにするために時間を埋めるでもいいし、逆にその日だけはどっぷりと故人への想いに浸ろうでもいい。
私は今年は、ちょうどその日に開催予定のわかちあいの会に参加しようと思っています。お花を買ってお墓参りにも行ってきます。帰り道で美味しいお刺身を物色し、余力があったら夫の大好物だったカレーも作って、すごい取り合わせですが全部一人で食べます。そうしながら一日かけて、この一年を夫と一緒に振り返ろうと考えています。手帳をさかのぼってひと月ずつ、やったことやできなかったこと、感じたこと。全部夫も見てくれているつもりになって語り合おうと思っています。
最近はほとんど引きこもっているので、全てをやり終えるエネルギーがあるかどうか。矛盾するようですが、予定していたことが一部出来なくてもいいし、もっと言えば結局ひたすら寝ていたでもいいと思っています。この日くらいは自分に甘く無理なく過ごしたい、もしかしたらそれが一番の予定かもしれません。

周囲の人たちに「私は今結構しんどいです」と伝えるようにしていることも付け加えておきましょう。大丈夫なふりをしない。
この反応の中にいると、無理がきかないことも多いです。突発的な身体の不調で仕事を休んだり、約束をすっぽかしたり直前キャンセルしたり。思うように動けないことが続くと、どうしたって申し訳ない気持ちや情けなさが募ります。かといって頑張り続けると、そのひずみがどこかに出てくる可能性もある。
どの時期に不調になりやすいかわかっていれば、周囲に前もって伝えておくことで気持ちが少し楽になることもあるでしょうか。仕事量を調整してもらうまでは難しくても、なんとなくわかってもらえているというだけで過ごしやすさを感じられるかもしれません。

私は今、記念日反応の知識を持っている仲間に囲まれて活動をしているので、その点はとても恵まれていると感じています。そんな周囲の理解があってこそ、やり過ごせると信じる力を得られるようにも思います。
その日、当日だけしんどいというものではないことや、何年経っても起こりうるという知識が社会に広がるだけでも、悲しい言葉の投げかけや誤解が減るでしょう。
当協会としてもこの「記念日(命日)反応」について、多くの方に知っていただく必要性を強く感じています。そのための動きもはじまっているところです。

毎年ある時期になると気分が落ち込む。当たり前にできていたことにエネルギーが必要になる。
もしもそう感じることがあったら、この記念日(命日)反応という言葉を思い出してください。蹲りながらもその場になんとか留まって過ごした一日一日を、頑張ったと認めていけますように。そう遠くなく抜けていくものであると信じられますように。

身体的な症状が強い場合は特に、何か別の原因があるかもしれないので病院で診てもらうことも必要になってくるかと思います。記念日反応は、あくまでそれらしい原因が見当たらない不調であることを重ねてお伝えしておきますね。

編集後記

なんとか書き終えることができたようです。ということは、だいぶ上向いて来ているのかな。こんなふうに私もまだまだ手探りです。来年のこの時期にどうなっているのかもわかりませんし、明日どんな状態かもわかりません。その中にいながらお伝えできることは何か、書けない間もずっと考えていました。これからも行きつ戻りつの中で考えていきたいと思います。
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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また、グリーフケアを学ぶ第一歩「グリーフケア/ペットロスケア入門講座」も無料で開講しています。支援者として活動したい方はもちろんのこと、グリーフの渦中におられる方にもご参加頂いております。今のご自分の状態を、少し客観視できるようになるかもしれません。私もここから学びはじめました。