グリーフケアの風景

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グリーフの渦中より

「グリーフケア」にたどり着けない問題

「グリーフケア」にたどり着けない問題

こんにちは。新人グリーフ専門士、寿月(としつき)です。
私はグリーフ専門士ですが、グリーフの当事者でもあります。現在も協会で学びを深めつつ、日々気持ちが揺れ動く只中にいるのです。当事者でありながらグリーフケアを学ぶことの意味や、自分の状態との向き合い方など、私の経験を通して皆様にお伝えしていければと思っています。拙い文章ではありますが、できるだけ率直に書いてまいります。
現在苦しんでおられる方、またグリーフケアに興味はあるけどよくわからなくて一歩を踏み出せないでいる方など、必要な方の必要なタイミングに届きますように……。

夫との死別直後のこと

2020年に夫と死別した後に日本グリーフ専門士協会と出会いますが、それ以前に両親、愛犬とも死別しています。グリーフケアに出会わないままのグリーフも経験しているというわけです。

夫との死別直後はその現実をなかなか受け入れられないまま、夫の形跡を自ら消していく(死後は様々な手続きがありますよね)作業に忙殺されていました。痺れたような頭であちこちに電話をかけ、足を運ぶ。「夫が亡くなりまして」と幾度となく繰り返すその声は、自分で聞いていても録音した音声を再生しているように機械的で、無機質なものでした。
疲れているはずなのに眠れない。食べなければと思うのだけど、飲み込もうとすると身体が拒絶するように吐き戻してしまう。そのくせお酒ばかりがスルスルと喉を通ってゆく。毎朝、夫が隣にいないということに新鮮に驚いていました。死の衝撃を繰り返し浴びていた感覚です。心臓がバクバクして、胸がぐーっと苦しくなる。そのまま深い穴に落ちていきそうになる私を、もう一人の自分が引き戻します。そしてまた一日が始まる。自分が何を感じ、また感じられなくなっているのか。そんなことに思いを馳せること自体が怖かった。一度でも深みに落ちてしまったら、二度と戻って来られないような気がしました。必死に頭を振って、耳を塞ぎ、こみ上げてくるいろんなものを抑え込もうとしていました。会いたいとか寂しいとか、そんな当たり前の気持ちすら押し殺してその日一日をなんとかやり過ごす。抑え込んだものが体の中で膨らんで、いつ破裂してもおかしくないような状態だったと思います。

というように、今でこそ当時のことをこうして言葉にできますが、あの頃は、自分がどんな状態で、どこに立っていて、そしてどこに向かっていけばいいのかなど何も言語化できませんでした。後の学びで、これが防衛反応のひとつであると知ります。とても耐えられそうにない状況の中、身と心を守るために時には必要な反応であると。本当によく頑張ってたよなって、今は思えます。
でも当時は、真っ暗な渦の中に一人、呆然と立ち尽くしていた感覚です。
部屋は荒れ放題、自分の衛生にも無頓着になり、お風呂に入ったか入っていないか、そんなこともどうでもよくなりました。注意力が散漫になり、鍋を焦がしたり、片方の眉しか描かず出かけてしまうなんてこともありました。

ちょうどこの記事を書いている今からすると昨日にあたりますが、夫と、同時期に亡くなった愛犬のお骨をお迎えに来てもらいました。(納骨の前に粉骨という手順を踏むために業者にお預けした)
誰に急かされたわけでもなく自ら日時を決めたにもかかわらず、やっぱりいつまでもそばにいてほしいという気持ちと、お骨を手放しても変わらずそばにいてくれるはずという気持ちを行ったり来たりしていたというのが現実です。
前日の夜に二つの骨壺をこたつの上に並べて蓋を開け、お骨を触ったり撫でたりしながらいろいろ話しかけました。

「〇〇(夫の名)の一生を支えてくれてありがとね」

「大往生だった△△(愛犬の名)を最後まで歩かせてくれてありがとう」

ふいに出てきたのは『骨』に対する感謝の気持ちでした。もっとメソメソするだろうと思っていたのですが、夫や愛犬も一緒に骨壺を覗き込んで「ありがと~」と言っているような気がして、どこかほっこりした和やかな時間になったから不思議です。
様々な考え方があるでしょうが、私はこの時間を持ったことで気持ちが整ったというか、お骨はお骨として区切りがつけられたような気がします。

コロナ時代におけるお別れの変化

会いたい人に簡単に会えない時代になってしまいましたね。この先どうなっていくのか誰にもわからないですが、みんなそれぞれにこの状況に慣れていくことを求められているのかもしれません。

コロナで亡くなる方は、お骨になってから家族と再会されると聞きます。ご本人、ご家族の心情はいかばかりでしょう。
一方で、コロナ時代に看取り期を迎えたり死別するということもまた、これまでと同じようにはいかない状況があります。
思うようにお見舞いにいけない。会いたい人に会わせてあげられない。
家族親族ですら制限されることが多い中で、友人や仕事仲間など本来であれば直接顔を見てお別れができていたはずの人たちも、双方が遠慮しなければならなかったりします。
葬儀に関しても同じでしょう。
私は遠方で暮らしていた父を非常事態宣言中に亡くしましたが、看取りや葬儀に立ちあえないばかりか、いまだ墓前にお参りすらできていません。
幸い兄がこちらの事情(コロナ禍であると同時に夫が闘病中であったこと)を鑑み、全てを滞りなくやってくれましたが、兄もたくさんの方に参列を遠慮してもらわなければならず、とても心苦しさを感じていたようです。そして何より、大切な父を見送る儀式がやむを得ず簡素化されてしまうことに対し、父に申し訳ないと話していました。
私も兄と、父の寝かされている布団を前に思い出話や、哀しみを語り合いたかったですし、父の顔を見て身体を抱きしめ、感謝の気持ちや寂しさを伝えたかったです。

夫の場合もそうでした。ごく近しい親族数名での葬儀、それ以前にお見舞いをお断りしなければならないこともありましたし、途中からは病院として面会が全面的に禁止されるなどもあり、離れて暮らす息子や夫の両親も、思うように会いに来られない事態になりました。私は着替えを持って行ったり医師との面談があったりなど、それでも会えていたほうだと思っていますが、万が一にも自分が感染してしまっていたら、それを免疫力が落ちている夫に運んでしまったらと思うと、もちろんあらゆる予防は心がけていても、精神的な重圧はあったと思います。そしてその重みは、他の家族も同じように抱えていたはずです。
コロナ禍でなければあらゆる場面で手を貸し、助けとなってくれたはずの友人たちともいまだ会えていません。子供が小さい頃から家族ぐるみでつきあいのあった友人と、夫の話で盛り上がりたい、思う存分楽しかった頃のことを思い出して笑ったり泣いたりしたいと、今もずっと思っています(相反する気持ちもあるというのが難しいところではありますが)。

一概に、会えない=語れないという時代ではないにしても、コロナ禍であるということが、自分を含め、グリーフを抱える方々の孤立や孤独を深める要因の一つになっているのではないかと感じています。

日本グリーフ専門士協会はオンラインの「わかちあいの会」を無料にて開催しています。
インターネット環境さえあれば全国どこからでも参加いただけます。対象別の日程にも対応しており、グリーフケアを深く学んだ専門士がファシリテートいたしますので、安心してご参加ください。

そもそも「グリーフケア」という言葉にたどり着けない

皆さんは、どのようにしてこのブログにたどり着かれたのですか。
グリーフケアを求めてでしょうか。あるいはグリーフケアをやってみたくてでしょうか。

もう一つ質問があります。

あなたは「グリーフケア」や「グリーフ」という言葉に、どのようにして出会われたのでしょう。

私は身近に死を何度か経験しましたが、直近の夫との死別後もグリーフケアという言葉を知りませんでした。言葉を知らないということは、その言葉で情報を探せないということです。
当協会の代表である井手敏郎の著書『大切な人を亡くしたあなたに知っておいてほしい5つのこと』に、ご主人と死別された登場人物が、助けを求めてインターネットの世界をさまよう場面がでてきます。

「夫」「死別」……「助けて」

そのような言葉で検索したというほんの短い場面ですが、そこを読んで涙が込み上げてきました。自分も同じことをしてきたからです。

この記事の最初のほうに書いたような混沌とした精神状態の中、何を求めているのか具体的なものも見えないままに、私はあらゆる言葉で検索をかけていました。出てくるものすごい量の情報に目を回し、ほとんど読めないまま次を、その次をとサイトを開いていきます。画面の向こうが何故かキラキラした世界ばかりに思え、それと比べて自分の今いるところはなんと暗く心もとない場所なのかと、そんなことに耐えられなくて電源を落とした日もありました。
こんなに辛いのに、苦しいのに、そしてこんなに情報は溢れているのに、「グリーフケア」という言葉を知らないだけで、必要な時にグリーフケアにたどり着けない。

もしかしたら私が検索下手なのかもしれません。あるいは言葉は目に入っていたのに、読み飛ばしていた可能性もあります。また、コロナ禍で、各地で開かれている対面型のわかちあいの会がことごとく中止されていた時期だったので、余計にさまよう結果になったということもあるでしょう。
私はこれだという情報にたどり着く前に疲れきっていました。それでなくても心身ともに消耗している状態で、使ったハサミを元の場所に戻すことすらできないでいるというのに。
もういいや……どうでもいいや……。
そんな投げやりな気持ちにもなっていました。何をしたって夫は戻ってこないのです。
私なんて、どうなったっていいや……。
自暴自棄に拍車がかかっていきました。

そんな私が「グリーフケア」という言葉にたどり着いたのは、検索の方向性が「助けてほしい」から「助けたい」に変化したからでした。
私は憤っていたのです。今この瞬間にも、自分と同じように辛さの中で苦しんでいる人がいる。それなのに助けがどこにもないじゃないかと。
正直、人のことを慮っている状況ではなかったですし、もしかしたら現実逃避の一つの現れだったのかもしれません。あるいは死別悲嘆の7つの局面の一つである「怒りの局面」にあったのかもしれないと、今これを書きながら気づきました。(これに関しては後々記事にしたいと思います)

「だったらさあ、もうさあ、私がさ、そういう人になるよ!」

ある夜、酔っぱらっていつものように夫に話しかけていた時に宣言していました。グリーフケアという言葉を知らないわけですから、そういう人がどういう人かもわかっていません。酔っぱらっているので気持ちも大きくなっていて、事業立ち上げなんてことまで妄想は膨らみました。
一度そういう方向で検索すると、不思議なことにスルスルと「グリーフケア」という言葉にたどり着き、その言葉で検索すれば、あるじゃないですか求めていたものが。あらゆる資格があり、支援の場があり、活動されている方がたくさんいることを知るわけです。事業立ち上げなどと息まいていた自分が恥ずかしい。知らないって恐ろしいですね。

私の無謀さは横に置いて、と。

でもなんとなく、モヤモヤしませんか? 私の場合は結果オーライとしても、当事者の頑張りありき(検索して検索して検索しまくる)ってどうなんでしょう。
そもそもインターネット検索をする気力すらない人は?
もっと言えばインターネットを使えない人は?

「グリーフケア」、だいぶ関心を持ってもらえるようになってきたとはいえ、まだまだこれからの世界です。私も今でこそその言葉に日々触れる生活をしていますが、それゆえに麻痺してしまう感覚もあるのではないかと思うことがあります。
今現在も「グリーフケア」という言葉を知らず、それでも心内で助けを求めている人がたくさんいる。そんな方々にも支援を届けられるよう、私たち一人一人が情報発信の仕方なども考えていく必要があるかもしれません。
まだまだ課題は山積みですね。

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まずはグリーフとは何かを学び、一緒にグリーフケアを広めていきませんか。

編集後記

記事を書き終えることができてホッとしています。ゆっくりペースだと思いますが、更新頑張りますので共に歩んでいただければ嬉しいです。

日本グリーフ専門士協会では「わかちあいの会」を無料開催しており、全国どこからでもご参加いただけます。お申込みいただきましたら、ZOOM(オンライン会議システム)の使い方等もメールで案内させていただきますのでご安心ください。

また、グリーフケアを学ぶ第一歩グリーフケア・ペットロスケア入門講座」も無料で開講しています。支援者として活動したい方はもちろんのこと、グリーフの渦中におられる方にもご参加頂いております。今のご自分の状態を、少し客観視できるようになるかもしれません。私もここから学びをはじめました。