グリーフケアの風景 Landscape
わかちあうことに意味はあるの?
こんにちは。新人グリーフ専門士、寿月(としつき)です。
先日、専門士同士の交流会の中で、絵本を読み聞かせていただく機会がありました。大人になると読み聞かせる側になることはあっても、聞かせていただく機会ってあまりないかもしれない。声に包まれながら、絵や物語の世界観に没頭する時間は夢心地でした。こんなにも満たされるものなのか!と正直びっくりしました。幼いころに感じていたであろう安らぎを取り戻したような、ありがたい時間となりました。
日常の中に、ほっと一息つける時間を入れ込んでいく。それはグリーフと向き合う中でも、大切にしていきたい部分です。私も意識して、ちょっと無理やりにでも息抜きの時間を作るようにしていますし、そうすることで心のバランスが取りやすくなったようにも感じています。何をすれば息抜きになるのかわからない人は、絵本を手にしてみるのはどうでしょう。ここでも、そんな時間のお供になりそうな絵本を紹介していけるといいなあと思っています。
それでは、今日も書き進めていきましょう。
迷子
夫の葬儀を終えて息子とともに帰宅し、夫(お骨)の居場所を整えたり少し話しをしたりして、夕方、アパートに帰る息子を見送った後のことです。
リビングには、その日まで夫が眠っていた介護用のレンタルベッドや、点滴をぶら下げる棒、一度も使われることがなかった車椅子などがまだあって、それと向かい合うように夫の居場所となった祭壇。私はそれらに挟まれるように座っていたのですが、ふいに思い立って、その足で外に出ました。おそらく何かを買いに行こうと思ったのではないかと想像しますが、「想像する」という言葉からもわかるように、理由はいまだ靄の中です。
でも、気がついたら外にいたなどという表現は的確ではなく、私はちゃんと目的を持って外に出たのです。一歩ずつ地面を踏みしめ、転ばないように、ふらふらしないようにと、いつもは浮かべもしないようなことを意識しながら歩いたのを覚えています。右足を出して左足を出して、右足左足、右、左、右、左。
そうしてある瞬間にふと思いました。
ちょっと待って。私、なんで歩いてるの?
勝手知ったるいつもの道です。いつも目にしている景色の中にいます。それはわかる。でも自分がどこに向かおうとしているのかがわからない。脳がぐるんとひっくり返ったような、なんとも気持ち悪い感覚がありました。
私はその場に立ち尽くしたまま、頭を整理しようと努めます。落ち着けば思い出せるはずだと疑わなかった。立ち上がった瞬間に、何をしようとしていたか忘れるなんてことはままあることで、それがちょっと大規模になったというか、外にまで出ちゃっているというだけのことだと思い込もうとしていたのです。自分が何かしなくちゃと外に出たことも、鍵を閉めたことも、転ばないように意識して歩いてきたことも覚えている。でも肝心な目的の部分だけが、まるではじめからなかったみたいに抜け落ちているのです。
いやいや待て待て。大丈夫だから落ち着け!なんか買おうとしたんでしょ!そうでしょ!
心内で、叩きつけるように言い聞かせながら手元を見ると、なんと手ぶらでした。鞄も、財布すら持っていない。頼みの綱が切れてしまったようで、一瞬、何がなんだかわからなくなりました。そして、自分がどうかしちゃったように思えた。
私は踵を返し、家に戻るために歩き始めました。不思議と身を隠したいような気持ちになっていたのです。自分の行動の心許なさに怯えていました。
この出来事を、夫に話したいと思いました。夫ならきっと笑ってくれる。ボケもそこまでいくと才能だとかなんとか言いながら。でも夫がいないということも思いました。家で待っているのはお骨だということもわかっている。それなのに、夕飯どうしようとか、今日は疲れたから夫が作ってくれないかなとか、夫は何が食べたいだろうとかそういうことも考えてしまう。私の頭の中で夫は、死んでいたり生きていたりしました。私たちは大概会話に困らない夫婦でしたが、その日も夫に話したいことは山ほどあった。たとえばそう、夫のお葬式も火葬場でのことも、まるで一緒に体験したようにわかり合えるのは夫とだけなのに、それが叶わないことが理解できないでいた。明日には帰ってくるかな、と思いました。それなら明日話せばいいや。それを楽しみに、今日は一人で我慢しよう。
そんなことをつらつらと考えながら歩いていると、背後から大きな音がしました。びっくりして振り返ると、車がすぐ近くに迫っていました。クラクションだったのです。
私は道のど真ん中を歩いていた。細い道で見通しもよく、なんかふらふら歩いてるやつがいるぞという感じで、ゆっくり近づいてくれていたようなので幸いでしたが、今思い返せば危険な状況でしたし、ご迷惑もおかけしました。
さらに普通の状態であれば考えられないことですが、曲がるところを間違えたのか、見覚えのない通りを歩いていたのです。冷静であればそれほど逸れてはいないと気づけたのでしょうけれど、その時は全く知らない町に迷い込んだように思えました。張りつめていたものがぷつんと切れてしまったのか、とっさに叫びだしそうになりました。腹の底から込み上げてくる大きな塊を、必死に抑え込みます。
すごく長く感じましたが、ほんの10分くらいの出来事だったのではないでしょうか。このとき私は、喪失悲嘆の7つの局面のうちの「混乱」にいたのだろうと推測できます。現実を直視するのが耐えられない中で、自分がいったい何に揺り動かされているのかさえわからない状況にいたのです。どんなに冷静に思えても(見えても)、判断力や認知力が低下し、注意力が散漫になっている場合もありうる。怪我や事故にも注意が必要な時期です。
周りの人が、そうと知っていてそばに寄り添えると良いですが、私のようにその場を一人で乗り切らなければいけない場合もあるでしょう。
どこかおかしくなってしまったのではないかと不安に思われる方もいるかもしれませんが、人生に、それだけ大変なことが起こったのです。頭もついていけないほどの出来事が。無理にしっかりしようとする必要はないですし、しっかりできなくて当然ではないでしょうか。
「助けて」と声をあげられるならば、あげましょう。それはけしておかしなことでも、恥ずかしいことでもありません。心許ない自分を許して、誰かにそばにいてもらう。それが可能であればぜひそうしていただきたいと思います。
もしあの時の私が、グリーフケアの知識を持っていれば、もちろん混乱は起こるけれど、自分にこう言い聞かせることができたでしょう。
大丈夫。やがてそこを抜けるから、今はそのままでいいよ。
周囲もまた、そのような人にどう接していいかわからず戸惑うかもしれません。かける言葉が見つからないと感じられることも多いでしょう。でも特別な声かけなど必要ではなく、ただそばにいて見守ることが一番の支えになる可能性もあります。車の運転を代わったり、のど越しの良い食事を作ったり、一緒に歩いたり。ため息に耳を傾けているだけでもいいかもしれない。ちょっと理解しづらい言動があったとしても、過剰に憐れむのではなく受け止める。そんな支えが身近にあると、とてもありがたいものだと思います。
私はこの経験を通し、様々なお顔を思い出しました。介護職として働いていた頃に関わらせていただいた、認知症の方々のお顔です。そして同じ病を患っていた父の顔も。
記憶や認知機能が零れ落ちていく。これも大きなグリーフのひとつです。行動にも言葉にもちゃんと意味や目的があったはずなのに、自分ですらそれを思い出せない、説明できない過酷さを、少しだけ垣間見たように思うのです。その方々が、父が、日々感じていたかもしれない気持ち。心細さや恐ろしさ。そしてそんな自分にどれほど傷つくかということ。
体感してみてわかるのは、自分が何もわかっていなかったということです。認知症の方にも、そしてその周りの方にも、ありきたりな言葉では伝えきれない葛藤があると想像するのは、難しくありません。でも私は、その想像だけでわかった気になっていた。そして詰め込んだ知識だけを振りかざして、接してきたのではないだろうか。
専門士を目指す講座では「相手の言葉や想いを、自分の中で響かせながらお話を聴く」ことを学びますが、それもまた簡単なことではありません。わからないという前提のもと、もしくは難しいと理解した上で、寄り添うことの本当の意味、知識を詰め込むだけでは叶わないその肌感覚が掴めるよう講座は進んでいきます。似たような経験があることもあればないこともある。自分が反応しやすい癖のようなものもみつかります。私たちは自分の内側とも向き合い、それらを一つ一つ受け入れながら、ワークや課題などを通して繰り返し練習を積むのです。
何かがあったとき、私たちは救急隊のように駆けつけることができません。でも、グリーフケアが当たり前の社会になれば、もしかしたらそれに近いサポートができるようになるかもしれない。
日本グリーフ専門士協会は、グリーフに対するあらゆる角度からのトータルサポートを目指しています。それに向けて今できることはなんなのか。それを考えながら、グリーフ専門士、ペットロス専門士は、それぞれの立場で今できる活動を広げているところです。自分に何ができるだろう。私自身、そこを見失わないようにしながら、歩んでいきたいと思っています。
はじめてのわかちあいの会
夫と死別してから数か月後、私ははじめてわかちあいの会に参加しました。協会が開催しているオンラインのグリーフサロンです。
申し込みした後、そして期日が迫ってくると、協会からZOOM(オンライン会議システム)の案内メールが届きます。パソコンから参加する場合と、スマートフォンやタブレットからの参加の場合、両方のやり方が説明されています。
私はまず、ZOOMをダウンロード(手元の機器に取り込む)するところからのはじまりでした。そのためのURLもメールに記されています。そういうものに疎い私はおっかなびっくりでしたが、実際にかかる手間はそれほど多くありませんでした。むしろシンプルです。メールには「ZOOMの使い方」という手引きも載っているので、そこを見ながら進めるとわかりやすいかもしれません。
ダウンロードからされる方は、会の前日までには済ませておくとよいでしょう。
私が使っていたノートパソコンには偶然webカメラがついていて(実はそれすら気づかないまま進めていたのですが)、助かりました。こちらの音声がどうやって向こう(?)に届くのかしらなんて思いながら、以前数回、別件で使ったことのあるマイクみたいなものも準備していましたが、その使い方すらうろ覚えで、使えるかどうかもわからなかった(結局いりませんでした)。
これくらい何もできない、知らないところからのスタートだった私にとっては、参加できる環境を整えること自体が第一ハードルだったことは確かですが、最初だけ少し頑張って参加までこぎ着ければ、環境に関しての不安は払拭されると思います。この部分をハードルだと感じる人は少ないかもしれないけれど、一応お伝えしておきますね。
そして当日です。確か午前10時頃から始まる会でした。いつキャンセルしてもいい、という言葉をお守りのようにしながらその日を迎えましたが、朝の緊張感たるや。
なんせ夫とのふたりごと以外ほとんど誰とも喋らない、会うこともない毎日です。画面越しとはいえ人と会うと思うだけで胃がきゅっとなる。そして、何を話すか問題があった。他の記事で書いたように、語れる気がしないまま当日を迎えた私は、必死に「その場にふさわしい話」を探していたように思います。
わかちあいの会にふさわしいのは、きっと悲しい話だろう。そんな決めつけのもとに、自分の中に相応のものを探すのですが、「数か月前に夫が死にまして」しか出てこない。手続きのための様々な窓口で、散々口にしたあの台詞です。そしてそれすら「悲しい、なのか?」と疑問符がつくのです。泣いたり吐いたりしているくせに、夫の死=悲しいとつながってすらいない。混沌とした胸の内に焦点をあてないようにしながら過ごしてきたので、心の蓋ががっちりと閉まっている状態だったのでしょう。
そうこうしているうちに開始の時間が迫ってきました。15分~10分前には入室し、受付をします。名前の確認等ですね。
私も無事にZOOMに入ることができて、自分の顔がパソコン画面に映し出されました。能面のように強張った顔をしています。ファシリテーターが声をかけてくださり、挨拶をかわしました。能面が、痙攣したみたいにわずかに動いて自分でも怖かった。
私今、こんな顔なんだ。鏡もほとんど見ないような生活でしたから、驚いたのを覚えています。痩せたなと急に自覚して、さらに表情らしいものが何もないことにびっくりしたのです。
教えていただきながら、名前と参加地域を打ち込みました。続々と他の方も入って来られます。私は用意しておいたお茶を飲みながら、その様子を伺っていました。思っていたより人数が多くて(10人前後でしたか)、こんなにも多くの人が、それぞれの死別と向き合っているのかと思うと、なんというか、途方に暮れるような気持ちになったのを覚えています。
協会のわかちあいの会には、安心安全な場所であるためのルールがいくつかあります。
・守秘義務(今日ここでのお話は、ここに置いていきましょう)
・パスの権利(無理にお話しする必要はありません)
・相互尊重(自分と比べずに、その方の体験を尊重しましょう)
これらの説明があった後に、簡単な自己紹介からはじまりました。
①どなたをいつ頃亡くされたのか
②今のお気持ち
③この場で呼んでほしいお名前があれば(ニックネームのようなものでも)
私は、はじめて参加すること、とても緊張していること、何を話していいかわからないでいるというようなことを言いました。ファシリテーターから、無理に話さないでいいとあらためて声をかけていただき、気持ちが少しラクになりました。そして人数が多い場合は、いくつかのグループに分かれます。その日も、2つのグループに分かれたように記憶しています。それぞれにファシリテーターが入り、いよいよ語る(聴く)時間のはじまりです。
その日の、メモ書きのような日記にはこうあります。
『はじめてのわかちあいの会。時期は違えど同じ経験の中にいる人たちに会えたことに感動というか、私も、みんなも、ここにたどり着いたんだと思うと、それだけで何か大きなものにありがとうと言いたくなるような気持ちになった。あの場以外の時間、その長い長い時間を、それぞれが必死に乗り越えているんだ。乗り越えようとしてきたんだ。みんなすごい。私もすごい。いっぱい泣いた。ありがとう』
誰かの経験や想いを聴くことで、こちらの心も震える。共鳴するような感覚がある。とめどなく涙は流れるのだけれど、それは悲しく辛いからだけではなかったようです。
それまでは、自分の身体の周りにバリアみたいなものを作って、その内側だけに視点を合わせて必死に過ごしてきた。それだけでいっぱいいっぱいだと思っていた。誰も入らないで欲しかったし、外側に出る勇気もなかった。外側のことなんて考えたくもなかった。そうでいることが当たり前みたいになっていたし、その中だけでなんとかしなければいけないとも感じていた。訳のわからない感情と、訳のわからない身体症状と、いつ何時込み上げてくるか知れない激情や、混乱した脳みそが起こす、考えられない事態に翻弄されながら、のたうち回るしかないのだとどこか諦めてもいた。それが死別というものだからです。
誰か助けてと叫びながら、助ける側になりたいと願いながら、そんなものはあるわけないと諦め、自分に蓋をする。そうしてきた私が、はじめて外側を覗き出会った気持ちは、感謝でした。私は一人じゃない。私は一人じゃない。
自然と、自分も話してみようという気持ちになっていきました。ですが何を話したかは、正直覚えていません。でもふさわしい話をしなければなんて気持ちは、すっ飛んでいたのは確かです。自分の中にあるまったく整理されていない、覗き込むことすら避けているような混沌に触れていく勇気はまだなかったけれど、誰かの混沌に少しだけ触れさせてもらえたことで、自分の混沌をも許してあげようと思えた。だから話そうという気になったのだと思います。
協会の井手代表が繰り返し言うのは、哀しい話は愛の話であるということです。愛しているからこそ辛く苦しい。その大切な想いを感じさせていただくのが、私たちなのだと。
わかちあうことに意味を見出せないまま参加した私でしたが、改めて振り返ってみると、その通りだったと実感できて余計に胸にしみました。愛という言葉は時に陳腐にとられがちだけれど、辛さも苦しさも、怒りも傷も、まとまらないまま行きつ戻りつすることも、混乱し、動揺し、悩み、一人きりだと感じることも、根底に愛があるゆえの葛藤なのです。胸が締め付けられるようなお話の中にある愛に触れたからこそ、心が震えたのかもしれない。
だから逆に、楽しかった思い出を語ることだってありなのです。私も実際、次のわかちあいの会で、夫とのふたりごとの話をしました。とても苦しいのだけれど楽しくて幸せで、どれだけ満たされるかということを、ちょっと不格好な笑顔を浮かべながら話したのを覚えています。
二時間ほどの会が終わってみると、背中は汗びっしょりで、ぐったり疲れていました。久しぶりに人と会って(オンラインですが)、話もして、それだけで精も根も尽き果てるくらいの体力しかなかったのです。緊張も、泣くことも、体力を使います。でも、私はそう日をおかずに次のわかちあいの会に申し込みましたし、同時に入門講座にも申し込みをしました。
今思えばこの日こそ、自分のグリーフと本気で向き合おうと決めた日かもしれません。グリーフケアに取り組むには、まず、自分のグリーフと向き合わなければいけないと思ったのです。でもこの後も、行きつ戻りつしますよ。迷ったり泣いたり、投げ出そうとしたりもします。
そのあたりもゆっくり書いていきますね。
編集後記
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。何事も一歩踏み出すには、エネルギーを使います。ご無理のない形でのご参加、お待ちしております。
日本グリーフ専門士協会では「わかちあいの会」を無料開催しており、全国どこからでもご参加いただけます。お申込みいただきましたら、ZOOM(オンライン会議システム)の使い方等もメールで案内させていただきますのでご安心ください。
また、グリーフケアを学ぶ第一歩「グリーフケア・ペットロスケア入門講座」も無料で開講しています。支援者として活動したい方はもちろんのこと、グリーフの渦中におられる方にもご参加頂いております。今のご自分の状態を、少し客観視できるようになるかもしれません。私もここから学びをはじめました。