グリーフケアの風景 Landscape
集まる集まらない集まれば
こんにちは。新人グリーフ専門士、寿月です。
当地だけでしょうか、気温差が激しい夏となっています。先日は昼間でも19℃、気温計を二度見しました。でも次の日にはまた30℃越え。今のところ熱帯夜らしい熱帯夜がないのは助かりますが、なんだか身体が追いついていかないような気がします。気がつくと残暑と言われる時期になっていて、夜になると秋の虫が鳴き始めています。ついこの前、セミが鳴き始めたとお伝えしたばかりに思えますが、その間の一日一日は確かにあった。つい流れの中で、通り過ぎるように過ごしてしまいがちな毎日を、嚙みしめながら、大切に過ごしていこうとあらためて感じているところです。
それでは今日も書き進めていきましょう。
節目を迎えて
今月、夫の一周忌を迎えました。それに合わせて納骨もおこないました。その日が近づくにつれしんどくなっていくのだろうと想像していたのですが、前日になっても、気持ち的な大きな揺らぎは感じられませんでした。それが嬉しいような、寂しいような。
肝心な時はいつも気を張っているせいか、感情が出てきにくい状態になります。大切な想いは、いつだって後から私を追ってくる。それもわかっているので、これからの自分をしっかり見つめていきたいと思っています。
直接的な原因かどうかはわかりませんが、7月の後半くらいからでしたか、寝つきが悪くなり、何時間も布団の中で悶々とする夜が続いていました。最終的には眠れて朝を迎えられていたので気にしないようにしていましたが、ただ寝返りを繰り返すだけの数時間はとても長く感じました。いっそ起きだして何かしようとも思うのだけど、なんだかそれも億劫で。久しぶりに、寝室に行くのが苦行みたいに思えた。
前日の夜からは食欲がなくなくなりました。昼まではモリモリ食べられていたのに、急なことです。緊張でしょうか。近しい親族数名だけが集い、お墓の前での納骨の儀のみというものでしたけれども、それでも、何事もなく無事に済ませなければと、何度も集合時間や、電車の乗り継ぎを確認したりして。
少しでも食べなければと焦りながらも、久しぶりのその感覚に懐かしさを感じました。
思えば夫の病気の症状が出始めた頃から、私はずっと緊張状態にいたのです。夫は本当にギリギリになるまで病院にかかるのを拒んでいましたので、原因や病名もわからないままの時間が長かった。一時的なものと信じたい、治ると信じたい。でも、怖い想像は膨らんでいく。
その症状がごまかしようもなく顕著になった頃からは、私の身体にも夫と似たような症状が現れました。みるみる痩せて、体力が削られていく夫と真正面から向き合い続けているうちに、気持ちが入り込み過ぎてしまったのかもしれません。食べ物が途中で詰まって、嘔吐してしまう夫のために、少しでも飲み込みやすくなるように工夫して食事を作りながら、不安で叫びだしそうになる。治って、お願い、治って。夫を助けて。
彼がトイレに駆け込むたびに、私も自分の吐き気を自覚しました。夫が少し落ちついてトイレから出てきた隙に、今度は私が、なんでもない顔でトイレに向かう。そんな毎日でした。
唾を飲み込むことも困難になってしまい、いよいよ病院にかかると、すぐに余命宣告。それでも生きるための治療を選択した夫と、二人三脚の闘病がはじまります。そうなるともう、自分の感情なんて邪魔なだけ。
彼の希望を叶えること、できるだけ笑っていられるようにすること、苦痛を減らすこと、少しでも幸せを感じられるようにすること、気持ちが吐き出せること、ずっとそばにいること。何度も今日か明日かという状況を乗り越えてくれて退院できたり、またすぐに緊急入院したり、その都度迫られる決断を、共に悩みながら進んでいく日々。
最後まで生きることを諦めず、でもその分、自身の状態をなかなか受け入れられずにいる夫の「家に帰りたい」という望みを叶えるべく、役所や包括支援センターなどに走り回った日。そして、自宅介護からの看取り。葬儀を終えてからの、あらゆる死後手続きや各種支払い。遺品整理やお墓選び。
「こうやって振り返ってみるとさ、私たち、すごくすごく頑張ったねえ」
「なんだよ、今頃気づいたのかよ」
遺影の中で、夫は笑っていました。これまでは浮かんでくることすら苦痛で、頭を振って追い払いたくなるような記憶たちが、スッとあるべきところに整理されたように思えた。これからは頑張った記憶として残っていくのかもしれません。でもこんなふうに思い出せる日がきたことを、素直に喜べない私もいます。なんだか、過去の出来事にしてしまったようで(実際そうなのですが)、薄情にも思えるのです。
一周忌や納骨、三回忌、七回忌、十三回忌、あるいはお盆やお彼岸など、日本の偲ぶ文化には節目が設けられています。そこに重きをおくおかないは、世代や地域によってもかなり差があるように思いますが、集まって思い出話をしたり、日常と少し離れて当時を振り返れたり、そんな時間を持つきっかけになるものです。ですが、コロナ禍(もうこの言葉を使うのすら嫌になっちゃいますが)の今は、人が集まることが難しい。
私も今回、延期するかしないかギリギリまで悩みました。参加してくれる夫の母は高齢ですし、住んでいるところも納骨する墓苑も、早くから非常事態宣言が出ている地域です。最終的には命日であるその日に予定通り行うことを決めましたが、ごく少数で現地集合、終わり次第現地解散、食事も、どこかに腰を落ち着けてお茶を飲むこともなしとしました。
日頃の行き来も難しい中で、母はきっと息子(夫)のことを話したいと思っていたはずです。私もそうでした。私の知らない息子としての夫、母の知らない夫としての息子。それぞれに語りたい、聴きたい気持ちを抱えている。そして私の息子も、まだ成人そこそこで父親を亡くし、その経験をわかちあえる友達が周りに見つけづらいかもしれない。それがわかりながらも、時間をしっかりと設けてあげられなかったことが心苦しいし、申し訳なくも感じています。
一概に、そういう場を設けられれば気持ちが軽くなるということではないですし、そういう場だからこそ語れないという方もおられるかもしれない。むしろその時期は気持ちの揺らぎが激しく、辛さしかないという場合もあると思います。
いずれにせよ、日常から故人を偲ぶような時間が持ちづらく、あきらめざるを得ない現実があって、その上、節目ですら制限されるような事態になっている。誰のせいでもないけれど、難しい時代になってしまったなあと感じます。
さて。納骨の当日は雨予報でした。暑いのも嫌だけど雨もやめてねと、夫にわがままなお願いをしていたところ、家を出るときは曇り空。帰りの電車に乗るまでは降らせないでねとお願いを重ねて、駅までの道を歩きました。お花屋さんで予約していたお花を受け取り、電車に乗ります。花束には夫の好きだった向日葵を入れてもらいました。
それまで落ち着いていた気持ちがふいに揺らぎ始めたのは、電車が走り始めてからです。二人で乗った時のことが思い出され、それがもう二度と叶わないという現実が今なお信じられずにいるのだと実感しました。信じられない、受け入れられない、でも現実はそこにある。納骨に向かっている私と、それを信じられずにいる私は共存しています。二度と触れられない手、目にすることのない姿、聴くことのない声、どんなに願っても叶わない想い。いつもそばにいてくれるとか、見守ってくれているとか、そういうことが全部、単なる強がりやごまかしに思えてくる。確かな不在しか残らないような気がしてくるのです。こういう感覚は、何度体験しても、その場にうずくまってしまいたくなるほど辛いものです。ふいに来るから余計にでしょうか。私は鼻をグズグズ言わせながらも、涙をこぼさないように必死でした。
予定していた全員が参加でき、納骨の儀が終わった瞬間に、全身から力が抜けていくような感覚がありました。思っているよりずっと、気を張っていたのかもしれません。「また元気で会おうね」と言い合ってみんなを見送り、駅に向かいます。願った通り天気はなんとかもってくれて、気温もそこまで高くならず。そして帰りの電車に乗った途端に、窓に水滴がつきはじめました。
「ほら、ちゃんとそばにいるだろ」
夫の声が聴こえるようで、また涙が込み上げてきます。行きとは違う種類の涙であったことは言うまでもありませんね。
前記したように、死別してから一周忌を迎える頃までは、様々な手続きや決めごとに追われ忙しいことも多く、気を張っているせいか、なんとか過ごせていたりする。私もこの一年、闘病を共にした期間からの緊張をそのままに、何かに急かされるように過ごしてきたような気がします。そしてそれらが落ち着いた頃から、辛さが増してくる方も多い。疲れが出ることも考えられるし、現実と向き合わざるをえない時間も増えてくるでしょう。
どの時期が一番辛いとか、いつになったらラクになるとか、定形はないです。こんなに時間が経ったのにとか、今頃こんな気持ちになるなんてとか、逆に、こんなに早く気持ちが切り替えられた自分は冷たいんじゃないかなど、様々に込み上げてくることは止めようがありません。ただ、どんな気持ちが湧き起こることも自然なことだと知れると、少しラクになれるでしょうか。
様々な場の開催が制限される中、インターネットの世界には、集う場やそれを作り出すアイテム(SNSなど)も増えており、その重要性、あるいは気軽さは益々高まっていくでしょう。
一方で、それらを使いこなせない人たちの置き去り感も感じています。どちらかに偏るのではなく、両翼として進んでいかなければならないと当協会も考えておりますし、各地域で開催されている「わかちあいの会」に参加される方も増えています。今時期の開催が難しい地域や、まだ拠点のない地域においても開催を目指して、それぞれが学びを深めていく必要性を痛感しているところです。
また、「オンラインのわかちあいの会」も、たくさんの方にご参加いただいております。対象を問わない会やパートナーとの死別、自死遺族の方々やお子さんとの死別を経験された方、あるいはペットとの死別のご経験など、それぞれ日時を分け開催しているところです。参加される方の多様な経験や想いにお応えできるよう、今後はさらに回数や、対象の幅を広げていくことを目指しております。
理想のパートナーである必要も、理想の親、理想の子ども、遺族らしい遺族である必要もない場です。その時の、ありのままのあなたでいていだだけるよう、私たちも努めてまいります。
つながりを感じられず、孤独のうちに苦しまれる方が一人でも減りますように。
編集後記
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。あれから少し時間が経った今は、寝つきも元に戻り、ご飯もモリモリ食べられています。心と身体は、つながっているのですねえ。
日本グリーフ専門士協会では「わかちあいの会」を無料開催しており、全国どこからでもご参加いただけます。お申込みいただきましたら、ZOOM(オンライン会議システム)の使い方等もメールで案内させていただきますのでご安心ください。
また、グリーフケアを学ぶ第一歩「グリーフケア・ペットロスケア入門講座」も無料で開講しています。支援者として活動したい方はもちろんのこと、グリーフの渦中におられる方にもご参加頂いております。今のご自分の状態を、少し客観視できるようになるかもしれません。私もここから学びをはじめました。