グリーフケアの風景

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グリーフの渦中より

抱えきれない怒りに翻弄されて

抱えきれない怒りに翻弄されて

こんにちは。新人グリーフ専門士、寿月です。
早いものでもう11月、今年も残すところ2か月あまりとなりました。カレンダーをめくるたびに、夫がいない日数が更新されていくのを感じます。そんな中、前から心にはありつつなかなか動けずにいた引っ越しに着手しております。これについてはまたいつか記事にできたらと思っていますが、とってもありがたいきっかけに背中を押され、なんとか重い腰があげたところです。すったもんだしていますし、不安をあげればきりがないけれど、年末にはすっかり落ち着いて、夫に「頑張ったな」と言ってもらえるようにやり切れればと思っています。

それでは今日も書き進めていきましょう。

怒りは状態

大切な人や身近な人を亡くした後、辛い苦しい、悲しい愛おしいなど様々に感情が揺れ動くのは当然のことです。時には「怒り」が込み上げてくることもあるかもしれません。
日本グリーフ専門士協会では、様々な感情を「哀しみ」と称します。そして「怒り」に関しては感情としてではなく、現象、あるいは状態として捉えます。
哀しみは本質として根底にずっとあるものですが、状態は行きつ戻りつしながら変わっていくものです。

もう20年近く前に母を亡くしましたが、その死別直後から随分長い間、私はこの怒りの状態にいました。こんなに大変なことが起こったのに、社会が普通に回っていることが許せないのです。葬儀の打ち合わせが母不在で進行していくこと、母が亡くなった人として扱われることなどからはじまり、テレビをつければ出ている人が笑っているとか、誰が好きだの嫌いだの、どうでもいいことがドラマになっているとか。外に出れば何事もなかったみたいに人は行きかい、お店は開店し、電車も車も当たり前に動いていて、それ以前となんの変化もない。こちらを想う言葉をかけられても、心ではそれを素直に受け取ることができない。だってその人たちの生活は何も変わらないのです。この場を離れたらいつもの生活に戻るんでしょうと、冷たい怒りを内側に溜めていきました。花は咲いたり散ったりして、季節が変わり、母のいない時間が広がっていく。母が過去になっていく。
世界なんか滅べばいいと思っていました。母のいない世界に意味なんてない。母が何をしたというのか。何故母が死ななくちゃいけなかったのか。なんで母だったのか。

20代そこそこだったこともあってか周りに死別経験者がいなくて、なんで私だけがこんなに苦しまなければいけないんだろうとも思いました。そしてあらゆるものに怒っているくせに、世界や運命を呪っているくせに、お腹がぐぅっと鳴ったりする。生きようとしている自分の身体に腹が立ちました。
そして母の最期、鎮静の決断をしたのは私だったのですが、それが強い自責の念にもつながっていました。当時の私には、まるで自分が母を殺したように思えた。そんな自分が生きていて、母が死んでしまうなんて理不尽だという想いがありました。
怒りや哀しみに翻弄される苦しさに、ついその状況から抜け出したくなる。誰か助けてと叫びたくなる。でも、哀しみから抜けだしたいと願うこと自体が悪だと思っていた。普通に笑える日がくるなんて想像もしたくなかったし、もしそんな日がきたら、私は絶対に自分を許さないだろうと思いました。

このように自身にも周囲にも、世界にまで向けられた怒りを、私は誰にも言えませんでした。表出したら身近な人を戸惑わせることがわかっていたし、理解されないだろうとも思っていました。
怒りはとても大きなエネルギーです。私はドロドロなものを内側に抱え、身動きが取れなくなっていきました。笑うことも楽しむことも許さず、哀しみに翻弄されながら怒りに身を浸し続けていた私は、メンタルクリニックにかかると「うつ病」と診断されました。
知識を得た今思い返せば、疲れやすいなどの身体の状態も、心の激しい揺らぎも、喪失悲嘆とその反応であっただろうことがわかりますが、当時は何もないですから、どうにも動けなくなって自ら病院にかかったわけです。

ここでは、その診断をどうこう言いたいわけではありません。あの時の私には、投薬治療が必要だったのかもしれないし、最善だったのかもしれない。
ただ、私が求めていたのは薬だったのかな、とは自問します。あの頃の私が求めていたものを、今の私が目指していきたい。そんな気持ちがあることは確かです。

気づいて、認めて、吐き出し、許す

死別の後には、いつ怒りが起こっても不思議ではないです。時には周囲に、そして自分に、あるいは亡くなられた方に向けられることもあります。亡くなられた状況によっては、怒りがより強く、激しくなることもあるでしょう。そして怒りを感じている、あるいはぶつけてしまう自分にもまた怒りが向きます。堂々巡りのような気がしてしまいますね。
昨年の夫との死別後はどうだったかと言いますと、母の時のように直後から猛烈な怒りに揺さぶられるようなことはなかったです。その苦しさを知っていますから、安堵していたくらいでした。数か月後にはグリーフケアを学びはじめ、悲嘆の過程に怒りという状態があると知っても、母のころを思い出すだけで、その後その状態に突入していくとは想像していなかった。罪悪感などが込み上げてきても、講座の中やわかちあいの会などで少しずつ吐き出せていると思っていたし、その実感もありました。
世界が何事もなく動いていても、仲良さげなカップルを見ても、立ち話的に夫婦関係の愚痴を聴くことがあっても、それが大きな塊のような怒りにつながることはありませんでした。人は人、私は私と切り離せていると思っていた。グリーフケアの知識を持ったことで、そしてつながりを感じられていくことで、波はありながらも、その波と上手く向き合えていると思っていました。だからこそその波は、ある点では緩やかになっているのだろう、と。

でもそれは違いました。私は怒りを、無意識に抑え込んでいただけだった。グリーフケアの学びを進めていく中での、ある日の講義中に気づいたのです。
お子様を亡くされたご夫婦への寄り添いを学んでいる時でした。子供を亡くすというのは、親にとっては何よりも辛いことです。辛いなんて言葉では片付けられないし、片付けてほしくないほどのことであると想像します。そんな状況の中でどうしたら夫婦で協力し合えるか、そのために専門士としてどんな関わりができるのか。
講義を聴きながら、私は自分の内側にモヤモヤしたものが広がっていくのを感じていました。それが妬みであると気づいたとき、私はとても動揺しました。必死に取り繕おうとしましたが無理でしたね。講義は進んでいきますが、全然耳に入ってこない。

まずは自分を責めました。お子様を亡くされたという前提での学びなのに、夫婦という形を妬んでいること。もうグリーフケアを学ぶ資格がないと思いました。こんな自分が、寄り添えるわけがない。もっと言うと、自分は人として最低だというところまで思い詰めた。
それがきっかけとなったのか、また何を見ても怒りが溢れてくるようになりました。ちょうど桜の季節でしたが、花が好きだった夫はもうこの世にいないのに今年も順調に開花しやがって、みたいな気持ちになる。ドライブやツーリングをしているらしいカップルを見れば一通り妬んで、それがもう二度と叶えられないことに腹が立ったし、冬を超えてどこか浮かれた世の中の雰囲気も頭にくる。こんなに寂しく辛い想いをするのは、夫のせいだと考えてしまう。そしてそんな自分をまたとことん責めてしまう。そうしているとどうしてか、自分の内側に怒りのタネを探してしまったりもするものです。何かを美味しいと感じている自分、ちょっとした幸せに気づいたこと、一人の生活を組み立てていこうとしていること、なんだかんだ言いながら生きていこうとしている自分が許せないような気持ちにもなりました。

今でこそ、支援する側もいろいろ抱えながらであることの意味、それでもお話を聴かせていただくときは自分のことを脇に置くという姿勢を未熟ながら掴んでいますが、あの時は自分が怒りを持っていること自体が許せなかった。これは私の大きな課題の一つなのですが、喪失悲嘆とその反応としてさまざまな状態が起こりうると学んでいながら、いざ自分がその状態におかれると、抑え込んだり否定してしまう。簡単には認められないのです。

怒りの状態をやり過ごすにはどうしたらいいのでしょう。もしかしたら哀しみを吐き出す以上に、怒りを吐き出すのは難しく感じるかもしれません。私も、こんなことを口にしたら軽蔑されるのではないかと不安になることもありました。
状態に戸惑い、打ちひしがれながらも、必死に抑え込もうとするかもしれない。誰にもぶつけようもなく、自分だけで受け止め続けるしかないように感じてしまいます。
あるいは、ぶつけるべき相手ではない人にぶつけてしまうこともあるでしょう。そしてそんな自分に対し、余計に腹が立ったりもする。自分はいったい何をしているのか。どうしてこんなことを思ってしまうのか、言ってしまうのか。

本当に難しいことですが、気づいたら認めていくしかないのかもしれません。私はこの時、ありのままの想いを文字にしていきました。今、そのノートを見ながらこれを書いていますが、なかなかに口汚い言葉が並んでいます。自分を責める言葉もあります。学び続けることへの迷いや、逆に、全てを捨ててしまおうとしている自分の極端さをあざ笑うような言葉も書き散らしている。
夫への怒り、状況に対する怒り、運命への、自然への、時間への、社会への、矛先が曖昧な怒り。誰かに言えば軽蔑されるかもしれない内容でも、どんなに汚い言葉でも、書き捨てるだけなら害はない。そうやって何度か書いていると、少しずつ怒りや自責以外の内容が交じってきています。けして前向きとは言えない内容ですが、それでも怒りとは呼べないようなもの。

そして当時の手帳(一言日記のようなもの)を振り返りますと、自分がかなり落ちているのがわかります。動けない立てない何もできない、今日も揺らぎがすごい、全く先が見えないなどの言葉が並んでいる。書きなぐることと平行して何をしたかというと、受け入れてもらえると信じられる場で吐露しました。わかちあいの会(オンラインサロン)や、共に学んだ仲間たちに吐き出したのです。わかちあいの会では、号泣しながら怒りに翻弄されていることを話した記憶があります。
会はもちろんのこと、受講仲間との時間にも、否定はありません。「大丈夫だよ」とか「気にしないほうがいい」というような安易な慰めもありません。その状態にいる私を、只々受け入れてもらう。身体から毒を出す作業みたいでした。それを何度も繰り返しました。吐き出した直後は疲労もあるけれど、怒りを共に引き受けてもらったような、重みが少しずつ減っていくような感覚がありました。
そしてどこか諦めに近いような気持ちで、この怒りは今はあっても仕方がないもの、と徐々に割り切ることができるようになっていった。

こんな私でも苦しみながらも再生に向かって進んでいくことが、誰かのヒントになるかもしれない。そして身をもってさまざまな状態を経験していくからこそ、お相手の力を信じることができるのではないか。
そんなふうに思えるまでにはいささか時間がかかりましたが、そういう方向を目指すに至ったのは、グリーフケアの学びとつながりがあったからです。上記したように揺らいだり狼狽えることも多々ありますが、知識が下支えとなってくれているから、時間がかかってもその状態から抜けていく日を目指せる。
私は運命を呪ったり人を妬んだししましたが、そういう状態にあったというだけで、そういう人間ではないと信じたい。同じようにあなたがもし今、ドロドロしたものを内側に抱えていたとしても、それはそういう状態にあるというだけで、あなたがそういう人間だということではないのです。

こと怒りに関して言えは、誰かに打ち明けるだけでも勇気がいりますね。でも一人で抱えるにはあまりに大きく、激しいものでもあります。
当協会では、わかちあいの会や「個人カウンセリング」などをおこなっております。無理にお話をされなくても、自分にとって安心できる場であるかを確認する時間としていただくだけでも大丈夫です。
そしてグリーフ専門士、ペットロス専門士講座もまた、わかちあいの会とは違った形のグリーフケアとしての側面がございます。支援する側になろうとする必要はありません。まずは自分を認めるために、その状態を許せるために、そしてつながりを感じられる時間となるよう努めてまいりますので、選択肢の一つに加えていただけると幸いです。

苦しい状況にある方が、一人でも、そして少しでもご自身を大切にできますように。

編集後記

今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございます。季節の変わり目です、どうぞご自愛くださいませ。

日本グリーフ専門士協会では「わかちあいの会」を無料開催しており、全国どこからでもご参加いただけます。お申込みいただきましたら、ZOOM(オンライン会議システム)の使い方等もメールで案内させていただきますのでご安心ください。

また、グリーフケアを学ぶ第一歩「グリーフケア・ペットロスケア入門講座」も無料で開講しています。支援者として活動したい方はもちろんのこと、グリーフの渦中におられる方にもご参加頂いております。今のご自分の状態を、少し客観視できるようになるかもしれません。私もここから学びをはじめました。