グリーフケアの風景

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グリーフの渦中より

年末年始を哀しみの中で過ごす人たちへ

年末年始を哀しみの中で過ごす人たちへ

こんにちは。新人グリーフ専門士、寿月です。
今年も残すところあと2週間ほどとなりましたね。皆様いかがお過ごしでしょうか。
今日の前置きをこのくらいにして、さっそく書き進めてまいりましょう。

特別な時期ならではの辛さ

年末が近づいてくると、街は賑やかになり、子どもたちが待ち望むような行事があったり、なんとなく気持ちがそわそわし、それぞれがちょっと追い立てられるように忙しなくなる。締めくくるとか納めるとか、区切りの言葉もよく使われるようになります。
よく考えてみると、今年と来年の境目といっても、日を跨ぐいつもの瞬間となんら変わらないのだけれど、どうしたって特別な感じがあるものです。12月に入った頃からすでに、「来年」に向かっていく大きなうねりのようなものに押し流されている気すらします。
今年一年を振り返ったり来年を思い描いたり、気持ちであったり物であったり、何かをリセットし、切り替えるタイミングとする人も多いでしょう。大変なこともあったけど、とりあえずそれはもう過去として、心機一転頑張ろう、みたいな。
私も毎年バタバタしながら、どこか浮きたちながらこの時期を過ごしていました。クリスマスが終わってすぐから大掃除に手を付け始め、仕事納めに合わせてお節やお雑煮の仕込みをはじめる。手帳も新しくして、どうせ忘れてしまうのに来年の目標を立ててみたりもして、忙しい忙しいと騒ぎながら、一年、家族が無事に過ごせたことに感謝しつつ、迎える年を想像するのは楽しいものでした。誰にとっても平等にやってくるこの大きな区切りの時期が、私はかなり好きでした。

でも夫が8月に亡くなっての昨年の今の時期、もっといえば一昨年の年末も、病院に行くことを拒絶しながらも夫の状態はかなり深刻でしたから、その頃から私の世界は一変し、今もその一変したところからの地続きでしかありません。
昨年の今頃を思い返しながら書きますと、死別から4か月目で、その日その日を生きているだけで精いっぱいでした。生きていることに意味があるのかもわからないまま、死んだら夫に会えるかななんて思いながら、それでも生きていかなくちゃいけないんだと言い聞かせるような毎日。否応なしに来年がきて、おめでとうを言ったり言わなかったりそんなことはどうでもよくて、ただ来年がきてしまうと、夫が亡くなったことが「昨年の出来事」になってしまう。どうしてかそれがとっても寂しかったです。

大切な人や身近な人を亡くした方にとって、どこか華やいだこの時期は、それまでの毎日以上に辛さが増してしまうかもしれません。とかく思い出の多いタイミングでもありますものね。孤独を感じやすくなったり、寂しさが募るようにも思います。締めくくったり気持ちを切り替えたりすることを強制されているわけでもないのに、そうできないことに焦ったり自分を責めてみたり、苛立ったりもするでしょうか。
私自身も昨年のこの時期は、街からも人からも距離をとり、ほとんど引きこもっていましたけれども、テレビやインターネットの中にも年末の空気感はあるわけですし、自分の思い出の中にあるいくつもの年末年始があまりにも明るく活気があって(イメージとしてしか思い出せなかったのですが)、だからこそ対比しての現状がとても受け入れがたく、どうしようもなくしんどかったのを覚えています。

また周囲もこの時期は、私たちになんと声をかけていいのかわからないかもしれません。傷つけたくない、失礼があってはいけないとつい考えすぎてしまったり、気にしつつも忙しなさの中、連絡しそびれてしまったり。多くの人が浮きたつような時期だからこそ、言葉や話の内容選びが難しく感じられることもあるでしょう。

昨年末31日は、コロナ禍であったこともあり、私は一人自宅で過ごしていました。もしコロナが蔓延していなくてもそうしていただろうと思います。誰にも声をかけてほしくなかったですし、そっとしておいてほしかった。そもそもどこかに出かけていく気力もないですし、まだまだ体力も消耗しきっていましたから、それしか選択肢がなかったとも言えます。
一人でいるということは、私と亡くなった夫、二人きりということです。年越しには、その前の年にはできなかった宴会を二人きりでやろうと決めていました。私もですが、夫もお酒が大好きな人でしたので、ちょっと豪華なおつまみを頑張って買ってきて(作る元気はない)、夫の写真と向かい合って話しながら、どんどん飲みました。途中からは涙がとまらなくなって、自分が何を喋っているのかもわからなくなって、いろんなものを倒したりこぼしたり散々な状態でした。鼻をかみすぎたせいか鼻血まで出て、最終的にはトイレまでまっすぐ歩けないくらい酩酊してしまいました。寂しいとか辛いとか苦しいという言葉では足りないような、言語化できない大きな塊みたいなものが胸の中にあって、このまま頭がおかしくなれたらいいのにと考えていた記憶があります。

そして、そっとしておいてほしい反面、どうしようもなく誰かにそばにいてほしいという想いも強くありました。ちょっと変に思われるかもしれませんが、友人がサプライズ的に、強引に家に押しかけてきた場面を妄想してみたりもしました。外に連れ出してくれる架空の誰かを思い描いたりもしました。
せめて誰か電話くれないかな、メールでもいい。どうしてる?の一言でいい。
実際連絡をもらっていたら、やり取りをすると考えるだけで億劫な時期でもありましたから無視していたと思います。本当に複雑なのです。常に相反する想いに揺れている。
一人でいたいけれど、一人でいたくないんです。誰かから連絡が欲しいけれど、誰からも連絡してほしくないんです。

記念日反応、あるいは命日反応という言葉をご存じの方もいらっしゃると思います。
亡くなった方の誕生日やその方との記念日、命日やクリスマス、そして年末年始などが近づくにしたがって、気持ちの揺らぎが大きくなったり体調を崩してしまったり、あるいはケガをしやすくなる(注意力が散漫になる)など様々な反応が現れてくることをいいます。

このような反応は誰にでも起こりうる自然なものです。本人はとてもしんどいけれど、周囲からは理解されづらいのも特徴でしょうか。
もしかしたらこの年末年始、世間の雰囲気とはうらはらな気持ちを抱えて、まるで自分だけが別世界にいるような、あるいは置き去りにされているような気持ちでいたり、表面的には親族などに囲まれていても、だからこそ強い孤独を感じる方もいるでしょう。

日本グリーフ専門士協会では、オンラインによるわかちあいの会を年末年始も開催しております。

<子供との死別> 12月21日(火)10:00~11:30
<ペットとの死別> 12月23日(木)20:00~22:00
<楽しい思い出を語る/配偶者やパートナーとの死別> 12月25日(土)20:00~22:00
<配偶者やパートナーとの死別> 12月27日(月)10:00~11:30
<対象を問わない死別> 12月28日(火)10:00~11:30
<対象を問わない死別> 1月1日(土)19:30~21:00
<対象を問わない死別> 1月7日(金)19:30~21:00

実は昨年のこの時期、私もこれらの会が年末、そして年始早々から開かれると知って心の支えにしていました。結果的に申し込むに至りませんでしたが、いざとなったら参加(オンライン)できる場所がある、一人じゃないんだ、そう思えることがお守りみたいになっていたのです。
短い時間ではありますが、専門士も大切な時間としてご一緒させていただきますので、よろしければご活用ください。

オンラインによるわかちあいの会お申し込みはこちらから。

 

このブログにたどり着いてくださった皆様が、この時期を少しでも穏やかに過ごせますよう、心よりお祈り申し上げております。

編集後記

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。当事者として、そして専門士として何ができるかを考えながら進んでまいりたいと思いますので、これからもよろしくお願いいたします。

日本グリーフ専門士協会では「わかちあいの会」を無料開催しており、全国どこからでもご参加いただけます。お申込みいただきましたら、ZOOM(オンライン会議システム)の使い方等もメールで案内させていただきますのでご安心ください。

また、グリーフケアを学ぶ第一歩「グリーフケア・ペットロスケア入門講座」も無料で開講しています。支援者として活動したい方はもちろんのこと、グリーフの渦中におられる方にもご参加頂いております。今のご自分の状態を、少し客観視できるようになるかもしれません。私もここから学びをはじめました。