グリーフケアの風景 Landscape
死の奥行き ~死別で失うもの~
こんにちは。グリーフ専門士、寿月です。
グリーフとは『喪失による悲嘆とその反応』のことです。
私は、「死」はとても奥行きのあるものだと感じています。
それは、亡くなった人の人生の奥行きとも重なるように思います。
大切な人や身近な人が亡くなったという事実は表面に過ぎず、それにより失うものは、一つではありません。
そこに思いを馳せていただくことで、悲嘆がどれほどのものであるか想像していただければ。
そんな願いも込めて、今日も書き進めてまいりましょう。
死別で失うもの
夫が亡くなった後、死んでしまったという現実を毎分毎秒突きつけられながらも、私はどこかぼんやりしていて、自分がまるでドラマの中にいて、そういう役を演じているような感覚でいました。
監督から「カット!」の声がかかれば、これまでと変わらない日常が戻ってくる。そう信じているというほど強い感じではないのですが、誰かが嘘だと言ってくれるのをずっと待っているような。
今日も帰ってこないんだ。
明日も明後日もいないんだ。
この先ずっといないんだ。
こんなことを自覚するとおかしくなってしまうと思いましたし、お花やご飯をお供えしたり、死後の手続きを進めるためにも、あえてピントをぼかして自覚することから必死に逃げていた。
でも逃げられるものではなくて、日常のそこここで襲ってきますね。
何度朝を迎えても、どれだけ泣きはらす夜が続いても、「カット!」の声がかからない。それこそ床を転げまわるほどもがき苦しみました。
心と一緒に身体も張り裂けてしまうんじゃないか。それもまあ、いいか。
いっそおかしくなってしまえばいいのにと思いながら、誰か助けてと無言で叫び続けていたことを思い出します。
今日も帰ってこない、明日も明後日もいない、この先ずっといないということは、どういうことなのか。
それを認めていく、失ったものを実感していくのは簡単ではありませんし、急激に進むものでもない気がします。
夫が死んでしまって、私は愛する人を失いました。
そして、あたりまえの日常を失いました。
触れ合うこと、馬鹿話、笑い合う時間を失いました。
力仕事を担ってくれる人を失いました。
おはよう、おやすみ、と挨拶を交わす相手を失いました。
助け合って、協力し合って、生活を組み立てていく相棒を失いました。
子供のことを気にかけ、悩みながら向き合ってきた同志を失いました。
くだらないことで喧嘩する仲間を失いました。
共に食事をする時間を失いました。
同じ番組を見て、ああでもないこうでもないと言い合う時間を失いました。
良き相談相手を失いました。
妻という役割を失いました。
励ましてくれて、いつでも味方であった人を失いました。
絶対的な信頼関係、安心感を失いました。
私が私のままでいいという自己肯定感を失いました。
旅行したり、散歩をするパートナーを失いました。
描いていた未来を失いました。
思い出を語り合う時間を失いました。
これら失ったものには一つ一つに痛みがともないます。
夫が亡くなってから3年を迎える今もなお、監督からの「カット!」の声を待っている私もいます。ですが、失ったものをこうして並べて、それらの一部について痛みから程よい距離が取れるようになったと感じている私もいます。
人によっては、甘えられる存在を失ったのかもしれないし、言いたいことを言える相手を失ったのかもしれない。守ってくれる人を失ったと感じる場合もあるでしょう。
逆に守ったり、お世話してきた人や子を亡くされた場合は、ぽっかり穴があいたような空虚感の中で、大切な役割を奪われたようにを感じている場合もあるかもしれません。
こうしてあげればよかった、あんなことをしなければよかったと後悔があれば、自分自身の存在をも揺るがすような、自尊心の欠如につながっているかもしれません。
成長を見守る時間
優しい言葉
言葉にしなくても分かり合える関係性 etc.
大切な人や身近な人の死は、その存在がいなくなるということに加えて、様々なものを失うからこその悲しみ、つらさがあります。
ここにあげたものはほんの一例であり、それぞれに書ききれないほどの喪失を体感している。
まさに世界が一変してしまったようだと感じる方も少なくありません。
死別からある程度時間が経つと、たとえば四十九日や一周忌、初盆を迎える頃に、
「そろそろ落ち着いた?」
「はやく元気になってね」
というような声をかけられることがあります。
ですが、もしかしたらその時期はまだ、落ち着いた状態が想像できないような、あるいは元気だった頃の自分がどんなふうに笑い、どんなふうに話し、どんなふうに動いていたかも思い出せないような状態が続いていることも少なくありません。
失ったもの一つ一つの痛みと、必死に向き合っている最中かもしれません。
日本グリーフ専門士協会は、大切な人や身近な人を亡くした後に沸き起こる、悲しい、つらい、悔しい、愛おしいなどが入り交じった言葉にしがたいような複雑な感情を「哀しみ」と表現しています。
外側から亡くなったという事実だけをとらえると、ただ一つのものを失ったと思いがちですが、その奥にはその人との関係性の中で星の数ほど失ったものがある。そうご理解いただけると、何か月、何年経ったからと一括りにはできない哀しみがあることがおわかりいただけるのではないでしょうか。
間もなくお盆を迎えます。
集うことの多いこの時期だからこそ、「落ち着いた?」とか「元気になってね」ではなく、遺された方の哀しみにあらためて耳を傾ける機会としていただけますように。
そして、グリーフを抱えた方は、自分の想いを何より大切にしていただけますように。
日本グリーフ専門士協会では、今年もお盆の時期にわかちあいの会を開催いたします。
〇お盆の集い 8月14日 20:00~22:00
〇動物たちのお盆 8月12日 20:00~22:00
グリーフサポートIERUBA https://www.ieruba.jp/
「オンラインわかちあいの会」はこちらから
サイト利用登録(3分程)はこちらから
あなただけの想いを大切にする時間としていただけるよう、場を準備してお待ちしております。
編集後記
今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。
死別後のおつらい中で自ら検索しなければたどりつけない状況を変えていくためにも、わかちあいの会/カウンセリング総合サイトIERUBAのパンフレットの配布や設置にご協力いただけますと幸いです。
日本グリーフ専門士協会IERUBAリーフレット申込フォーム
オンラインによる「わかちあいの会」(無料)・個人カウンセリングの日程確認とお申し込みはIERUBAへ。
また、グリーフケアを学ぶ第一歩「グリーフケア/ペットロスケア入門講座」も無料で開講しています。支援者として活動したい方はもちろんのこと、グリーフの渦中におられる方にもご参加頂いております。今のご自分の状態を、少し客観視できるようになるかもしれません。私もここから学びはじめました。