グリーフケアの風景

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グリーフの渦中より 活動報告

大切な人を偲ぶ ― 供養のかたちとグリーフケア

大切な人を偲ぶ  ―  供養のかたちとグリーフケア

こんにちは。グリーフ専門士、寿月です。
「一周忌を過ぎ、周りから納骨を急かされるようになった」
「節目を大事にしたい気持ちはあるが、身体が動かない」
「お線香を毎日あげない私は、冷たい人間なのか」
わかちあいの会やカウンセリングで、このようなお話を伺うことがあります。
弔いや供養の仕方については、繊細な内容を含む場合があるので、他の人がどうしているのかなどなかなか聞けないかもしれません。
今回は私の場合に少し触れながら、協会の井手代表が僧侶の皆さんに向けて行った講演のご報告も掲載いたします。

それでは書き進めてまいりましょう。

私の場合

葬儀はコロナ禍ということに加え、元気だった頃の夫がそのような儀式を好んでいなかったこともあり、ごく近い親族だけで集まり、内容も簡単なものとしました。そして一周忌に合わせて納骨はしましたがお坊さんに来ていただくこともなく、四十九日や三回忌など今日に至るまでの様々な儀式は全くやっておりません。 
何か強いこだわりがあるわけではなく、そこに向かって動く気力がないままに来てしまったというのが正直なところです。

ただ家族の希望を汲んで、葬儀の際に読経だけはお願いしました。お願いしたと言っても、夫婦ともに特定の信仰を持たず、お付き合いのあるお寺もない状況でしたので、手配は葬儀社の方にお任せしました。その日その時間に空いている方が来てくださったのだと思いますし、来てくださった僧侶の方が、どの宗派だったのか、聞いたかもしれませんが失礼ながら覚えていません。
葬儀の前に数十分ほどお話する時間をいただいたのですが、その方は夫を知っているわけではないし、私も当然初対面ですし、何を話したらいいのか、お互いに困ってしまう時間でした。
  
そして、現時点では仏壇も備えずにいます。こちらもこだわりがあるわけではなくて、埋葬の形も含め悩みはしたのですが、自分が出来ることと出来ないこと、続けられること続けられないこと、次の世代の負担なども踏まえてその都度決めてきました。
夫だったらどう考えるだろう、どう言うだろうということを一生懸命想像しながら歩んできたところがあります。

ここまでは一例として私の場合をお伝えしましたが、仏壇の前に座るとホッとするという方もいらっしゃいますし、仏壇の前だからこそ亡くなった人と会話ができるという方もいらっしゃいます。
手を合わせられる場所が家の中にあることで、弔い続ける意志のようなものを自分の内側に持てる方もいるかもしれません。 
さらに、死別後の様々な儀式は、遺族にとっては気持ちを表出できる機会にもなり得ます。亡き人との思い出や日頃は内に秘めている哀しみを、言葉にしやすい貴重な瞬間でもありますね。 
一方で、そこに気持ちの負担を感じる場合もあって、身体が動かない、気力が向かない、あるいは、仏壇や遺影を見ることもつらいという方もいらっしゃいます。

これらは世代間で考え方の違いが生まれやすく、親族同士で意向が合わずに揉めてしまう場合もあるようです。
「こうするべき」と決められたものに添うことになんとなく抵抗を感じる人がいる一方で、選択肢が増えている時代だからこそ、余計に悩ましいと感じる方もいらっしゃるかもしれません。
また、何かを考えること自体が難しいような状態の中なのに、決めるまであまり時間をかけられないこともあるので、後から「もっとこうしていればよかった」「こうしなければよかった」などの後悔につながってしまう可能性もあるでしょうか。

弔いや供養に、正しいも間違いもないのかもしれません。
それぞれが、つらい状況の中で亡くなった人を想い、その時にできる選択をしているのだと思いますし、私個人的には、供養の仕方で亡くなった人を想う気持ちは計れないと感じています。
唯一無二の正しい道というものがないので、個々の考え方やその時の気持ち、自分が心地よい形が尊重できるといいですよね。

このブログにたどり着いてくださった方が、ご自身のペースを大切に、想いを大切に歩んでいけますように。

大切な人を亡くした方に接する時に知っておいてほしいこと

私の場合もそうですが、近年、儀式や供養の仕方が簡素化される傾向があると聞きます。
その一方で、特に地方では、昔からのつながりとしてお寺との関係を大切にしている方も少なくないでしょう。
私も今でこそ、特定のお寺と関わりを持ってはいませんが、幼い頃は身近にお寺の存在があるような地域で過ごしてきて、お坊さんの佇まいや所作、衣装に目を奪われたり、親戚の法要時などでの法話を一部覚えていたりもします。
困ったことがあるとお寺に相談に行くという話しもよく耳にしていた記憶があって、今になって振り返ると、近隣住民の悩み相談のような役割をお寺が担っていたのかもしれないと思います。 

世代を超えて関係を紡いきたお寺、そしてお坊さんだからこそ、遺族は信頼の中でその言葉を聴くことがありますね。
 
6月26日に北海道北見市にて、協会の井手代表が、僧侶の皆さんを対象に「大切な人を亡くした方に接する時に知っておいてほしいこと」をテーマとした講演をいたしました。

ご遺族が傷つきやすい言葉とはどのようなものか。

教えを説かれるお立場の皆さんに知っておいてほしいことなど、印象的な幾つかの事例をもとにお話しがあり、120名ほどの僧侶の方が、メモを取りながら熱心に耳を傾けてくださいました。

宗派によって教義はさまざまあれど、ご遺族のお気持ちを少しでも和らげることができればというお一人お一人の想いは、そもそもにおいてグリーフケアの姿勢そのものであると思います。
終了後に個別に質問くださる方も多く、ご遺族に誠実でありたいという気持ちがとても伝わってきました。 
ですが限られた時間の中での関わりとなる場合も多いとのことで、「立場上求められること」と「傾聴の姿勢」を融合させるのは、口で言うほど簡単ではないかもしれません。でも、そこに葛藤を感じてくださっていること自体が、誠意であるようにも思うのです。


27日には近隣の方に向け、ドキュメンタリー映画『グリーフケアの時代に』の上映会も開催され、100名ほどの方が足を運んでくださいました。
グリーフケアが求められていること、「話したい」「聴いてほしい」というお気持ちを抱えている方が少なくないことを肌で感じる時間となりました。

今回の講演会と映画上映会は、協会で学びを深めている住職のお一人がお声かけくださり、実現したものです。
死別直後からの繊細な時期にご遺族と接することの多いお寺や葬祭業、保険業や役所の方々、大変ありがたいことに、これらの立場の方が協会に学びに来てくださったり、研修の機会をいただくことも増えています。

それぞれのお立場だからこそつながることのできる人がいて、そのお立場からしかできないグリーフケアがあるのではないでしょうか。


どの地域に暮らしていても、つながるきっかけが持てるように。
どの地域に暮らしていても、つながる場所があるように。
日本グリーフ専門士協会は、オンラインでのわかちあいの会やカウンセリングの場作りに加え、手の届く位置からのグリーフケアも、様々なお立場や職種の方と協力を深めながら進めていければと考えています。

【今年もお盆の時期にわかちあいの会(オンライン)を開催いたします】

〇動物たちのお盆 8月4日 20:00~22:00 
https://www.ieruba.jp/WTE/site.cgi?m=coudtlfrm&course_id=84
(グリーフサポートIERUBAでの開催)

〇お盆の集い 8月12日 20:00~22:00(近日中にIERUBAにご予約枠を掲載予定)
「グリーフサポートIERUBA」

哀しみが打ち明けやすい、あたたかい社会を広げるために、そして、お一人お一人のつながりとなれるよう、これからも誠実に歩んでまいりたいと思います。

※日本グリーフ専門士協会は、お相手の多様性(人種・立場・年齢・性別・性指向・価値観・死生観・信仰)を尊重して関わります。
また、学びに来てくださる方にも、その意識をお願いしています。

編集後記

今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
湿度の高い時期です。それぞれに労わってまいりましょう。

〇オンラインによる「わかちあいの会」(無料)・個人カウンセリングの日程確認とお申し込みは「グリーフサポートIERUBA」へ。

哀しみに寄り添うグリーフケア基礎講座
大切な人や身近な人と死別され、哀しみの渦中にいらっしゃる方にもご参加いただける講座となります。
死別後の暗闇の中、知識が今を生きる支えとなりますように。

グリーフケア入門講座「ペットロスケア入門講座」
こちらの講座は無料で開講しています。
支援者を目指す方、グリーフケアってなんだろうという方はこちらをどうぞ。
私もここから学び始めました。