グリーフケアの風景

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グリーフの渦中より

「死にたい」と感じたあなたへ~その想いを言葉にすることの意味~

「死にたい」と感じたあなたへ~その想いを言葉にすることの意味~

こんにちは。グリーフ専門士、寿月です。

以前このブログで、『「死にたい」をやり過ごす』という記事を書きました。そちらでは、大切な人や身近な人と死別した後、どんなふうに死にたい気持ちが芽生えてくるのかを、私自身の経験を通して綴らせていただきました。
今回は、その「死にたい」、あるいは「消えたい」という深く苦しい気持ちが、どのようにして心の中から溢れ出し、言葉となるのか。その意味について私自身も見つめていきたいと思います。

言葉にするのはとても勇気がいること

大切な人や身近な人が亡くなった後、あの子に会いたい、あの人のそばに行きたいと思うのはごく自然な感情ではないでしょうか。
また、日々の深い悲しみや切なさ、苦しみから、「私も死んでしまいたい」と願ったとしても、それは決しておかしなことではありません。

早く迎えに来てほしい。
消えてしまえたらどんなにらくだろう。

心からそう思う瞬間がある。あるいは、小さな火種のように常にその気持ちが内側で燻っている。


私の場合はこんな言葉が浮かぶことがありました。

「そろそろ終わりにしてもいいんじゃないかな」

夫がいない日々を懸命にやり過ごしている時、毎分毎秒、なんとか踏ん張って過ごしてきて、ふと一息ついた時。
内側から、「もういいんじゃないか」「十分に頑張ったんじゃないか」という想いが込み上げてきたのです。
終わりにするとはどういうことなのか、思い詰めて考えていたわけではありません。
ですが、そこには「死を選ぶ」という意味が含まれていることを、私は確かに感じていました。それはもしかしたら、死別直後に漠然と浮かんでくる「死にたい」をやり過ごしていた時よりも、もう少し深く、死というものを意識していたということなのかもしれません。

朝目覚めた時に、また今日が始まるという絶望がくる。
一緒にスーパーに行って買った瓶詰が、賞味期限を過ぎて冷蔵庫の奥からみつかる。
自分の外側では、まるで何事もなかったかのように毎日が続いていく。
すっかり元気になって良かったねと言われる。

あの人がいない世界で目覚めてしまうから、生きていくしかなくて。
積極的に生きたいと思っているわけではなく、はじまるから続けるしかないという感覚が強かった。

いつまでやり過ごせばいいのか
いつまで頑張ればいいのか

答えがみつけられない問いを抱えていると、本当に疲れます。
その疲れの中に、楽しかった思い出や光景がふと浮かび、その世界が今もどこかにある気がして、自分もそちらに行きたくなる。

ですが、こういう話を口にするのは、もしかしたら勇気がいることかもしれません。簡単に誰にでも言える気持ちではなく、さらには、心配をかけてしまう、悲しませてしまうと思うと、身近な人にほど言えないこともあるでしょう。


一人で抱えるには大きすぎる気持ちでもあって、私自身、抱えていること自体に怖さも感じていました。

私は大丈夫だろうか
どこかおかしくなってしまったんじゃないか

積極的に生きたいと思っているわけではない。けれども、本当に死にたいかというと、やはりそれともどこか違う。
私の場合、「終わりにしてもいいという気持ちが込み上げるほどに苦しい」という状態だったのだと思います。

このような時、大切な存在を失った痛みを身をもって感じている自分だからこそ、周囲の人にその不安を感じさせたくないと、想いを胸の奥に閉じ込めてしまうこともあるのではないでしょうか。

あるいは、勇気を出して身近な人に伝えてみたのに、返ってきた言葉に深く傷つき、その気持ちに鍵をかけてしまった方もいらっしゃるかもしれません。
きっと身近な人も、あなたを大切に想うがゆえにかけた言葉ではあったと思います。でもそれにより、余計に口を閉ざしてしまうことも起きてきがちかもしれません。

あなたの本当の想いを私たちも感じ、大切に受けとめたい

死にたい、消えたいと思う自分を責めてしまう時もあるでしょうか。
世間にはそういうことを考えるのは弱いからだという風潮がまだまだある中で、こんなことを思っちゃいけない、考えちゃいけないと必死に言い聞かせるしかないままに過ごさざるをえなくなってしまう。

このような気持ちになることは、果たして弱いからなのでしょうか。
そう思うしかない苦しさを経験してきた私は、決してそうは思いません。

わかちあいの会のサポートやカウンセリングをさせていただいていると、勇気を持ってこの気持ちを言葉にしてくださる方と出会います。
消えそうな声で、または、震える声で、お話しくださる方も少なくありません。

その言葉を口にするまでに、どれだけのおつらさがあったのか
そして口にすることに、どれだけ勇気がいったか

私たちはそこに心を寄せて、お話を聴かせていただきます。

わかちあいの会では、こういう気持ちを抱えているのは自分だけではないんだなと感じられるかもしれないし、カウンセリングでは、お気持ちを否定することなく、無理に変えようとするのでもなく、あなたの心に寄り添い、歩みを共にするカウンセラーがいます。

それでも、口にすることが怖いという方もいるでしょう。
実は私もそうでした。
死にたいと言ってしまったら、その言葉が自分の声で耳に届いてしまったら、張りつめていた糸が切れてしまって、自分の内側にあるその気持ちに吸い寄せられてしまうのではないか。

最後に、そのような方に向けて。


あの人に会いたい、消えてしまいたい、もう終わりにしてもいいんじゃないか。
そんな気持ちを持っていた私は、今、グリーフケアの活動に関わらせていただき、皆さんにこうして文章を書いています。
これからだって、そういう気持ちに絶対ならないとは言い切れないし、今もずっと夫に会いたいです。

気持ちが落ちた時、何か大きなものに絡めとられそうになった時、今でこそ私は「自分がそのような状態にある」と打ち明けられるつながりがあります。
そして、わかちあいの会やカウンセリングなどで、そのままの気持ちを受けとめてもらえる経験を重ねることで、誰かに話を聴いてもらうことの意義を実感しています。

さらに言うと、私にとって自分の経験や想いをこうして文字にすることもまた、ある意味では、気持ちをそっと打ち明ける作業でもあります。
自分の本当の想いに触れるのは怖い。誰かに打ち明けることで、自分がどうなってしまうのかわからない。でも白い紙の上になら綴れる言葉があるかもしれません。

想いを自分の内側に溜めない方法は一つではありませんね。
そして今はまだその気持ちに蓋をしていたいということであれば、無理はしなくていいのではないでしょうか。


あなたが必要に感じた時、IERUBAはいつでもここにあります。
グリーフサポートIERUBA」

焦らなくていい。急がなくていい。
どうか、あなたのタイミングで、心を休める場所や方法をみつけていけますように。

編集後記

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。

大切な存在との死別後は、どんな気持ちがわきあがってきても不思議ではありません。その中を懸命に過ごしている自分を優しく抱きしめる時間、大切にしていただけたらと願っています。 

〇オンラインによるわかちあいの会(無料)・個人カウンセリングの日程確認とお申し込みは「グリーフサポートIERUBA」へ。

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大切な人や身近な人と死別され、哀しみの渦中にいらっしゃる方にもご参加いただける講座となります。
死別後の暗闇の中、知識が今を生きる支えとなりますように。

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